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2014年3月 9日 (日)

忘れまじ。3・11


    あれから3年。 もう3年。 忘れまじ 3月11日。

 あの日、クラブのアクアを済ませ、着替えていた処に娘から携帯。

 「大丈夫? 地震!」 
  「あっぁー、そう云えば誰かが揺れていると云っていたわぁー」
 「ちがう、ちがう・・・車が流れている!」 
  「何で地震で車が流れるのぉ?」  
 「すぐにテレビを観てよー。東北だって、〇〇さんの仙台だって。
   (長男のお嫁さんの実家)
  いま、浜松の〇〇さんに連絡しているけど捕まらないのぉー」

娘からの悲愴な声の電話でのやり取りから始まり、
 テレビを見つめて言葉にならなかった・・・・。
お嫁さんの親戚でも、2名の方との連絡が取れず未だ行方不明。

   誰もが云う 「想定外・・・」 大災害とは常に想定外だ。

    あれから3年の歳月。 《忘れまじ3・11》 
 一人一人の心に残された、忘れてはいけない歴史なのだ。

    雨にも負けず                   
               
      風にも負けず
    雪にも夏の暑さにも負けぬ
    丈夫なからだをもち   
    慾はなく
    決して怒らず
    いつも静かに笑っている
    一日に玄米四合と
    味噌と少しの野菜を食べ
    あらゆることを
    自分を勘定に入れずに
    よく見聞きし分かり
    そして忘れず
    野原の松の林の陰の
    小さな萱ぶきの小屋にいて
    東に病気の子供あれば
    行って看病してやり
    西に疲れた母あれば
    行ってその稲の束を負い
    南に死にそうな人あれば
    行ってこわがらなくてもいいといい
    北に喧嘩や訴訟があれば
    つまらないからやめろといい
    日照りの時は涙を流し
    寒さの夏はおろおろ歩き
    みんなにでくのぼーと呼ばれ
    褒められもせず
    苦にもされず
    そういうものに
    わたしはなりたい
    
 この宮澤賢治記念館のノートには・・・の寄せ書き。
  《頑張ろう東北。雨にも負けず、風にも負けず、だぞぉー》
  《こんな時だから負けたくない。勝たなくていい。負けたくない❢》

  と、今朝の新聞にありました。
宮澤賢治の、産まれた年には、明治三陸地震。
        人生中頃には、関東大震災。
        亡くなった年には、昭和三陸地震(不思議な縁)

”雨にも負けず”の言葉が・・・何度も読んだ文字なのに、
  受け取る自分の現状で、読み方が変わり、
   今一度、心新たにしなければと思えました。

 

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コメント

3:11、、もうすぐですね。
決して忘れられない、忘れてはいけない3:11。
あの震災を思うと心が重くなります、、、自分の故郷でもあるから・・
あの日は我が家では妊娠中の娘が一人で留守番しており私は必死で帰宅を急ぎました。
岩手の実家はどうなったか・・兄弟たちは無事かと電話しても全く繋がらず不安が走り・・怖かった。
身内は無事だったが沿岸部に住む友人の身内は行方不明のまま現在に至っている。
復興、復興と言いながら未だに避難所で不安定な暮らしの人が多い現実、、。
「雨にも負けず、、」を何度繰り返し心に刻んだことでしょうね・・・
「花は咲く」の歌を聞くと泣きたくなります・・・

~~マイペースさん~~
3・11が今年は3年を迎えると云う事で
マスコミも大きく取り上げております。
あれから3年。。。何が変わって、何が変わらないのでしょう。
あまりにも大きな被害で見当が付きません。
マイペースさんも東北のお人。
故郷への思いは深いものでしょうね。

苦労して築いたすべてが一瞬にして失われます
戦争の時も、そして災害にあわれた方も
同情するなら。。。。。。。をとか言われますが
なんと私はぜいたくな日々を送っているのでしょう

~~ロンさん~~
今の若い人は苦労を経験していないので、
何かあっても、パニックになってしまいます。
そして、精神的に軟弱ですので、心が潰れてしまいますね。
そんな時、ロンさんの年代の人が大きな指導者として、
若者を導いていって頂きたいです。

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